流れ作業的に作られるガラス制品しか知らなかった高校時代。ある日、学校の先輩に連れられて訪れたのが、当時の横濱硝子の工房でした。分厚いガラス扉を開けると作家さんたちの美しい作品。2階には、作品作りに没頭する真剣な眼差しの作家さんたち。その熱量の高さに、僕が求めていたのはこれだ!と思ったのです。その時の出来事が、ガラス作家を目指すきっかけになりました。作家として活動し始めて21年。見て美しく、使って優しい、人を思う器やオブジェを制作しています。
横濱硝子では、ガラス作家としての全てを学びました。周りの先輩たちは、四六時中ガラスのことを考えている人ばかり。当時はそんな環境にいられるだけで嬉しく、朝から深夜まで工房で作品作りをしていたことを覚えています。一時期は創業者の浅利さんや他の作家と一緒に一つ屋根の下で共同生活をしていたこともありました。作品について語り合い、一緒にごはんを食べ、時にはご馳走になって。単なる師弟関係や仕事関係というよりも家族という言葉がぴったりな環境でした。
浅利さんはよく「虎は死して皮を残す。治(浅利)は死して名を残す」と語っていました。今思えば浅利さんは、横濱硝子という名を残し、そして多くのガラス作家を残していったのだなと思います。横濱硝子の作品は全ての工程を人の手で行っています。一つとして同じものはなく、どの作品も使っていただく人に好きだと感じてもらえるように常に本気で制作しています。作品を世に出す時は、自分の宝ものを手放すような感覚。購入していただく方にも、宝もののように感じていただけたら嬉しいですね。
能登島ガラス工房1年コース受講、
ガラス制作を始める
吹きガラス工房 横濱硝子に入る
横濱硝子を退職し、ガラス作家として
個人活動を始める
ガラス工房 glass calico築炉
第2工房築炉
海が見える自宅兼工房で作品制作を行う。
数々の百貨店やイベント、展示会に出展。
不定期で吹きガラス体験教室も開催している。